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生きがいであったピアノが取り上げられてしまった

コンサート 私の起死回生ストーリー

左半身まひといっても左手が動かなくなってしまったことは

脚の事よりダメージが大きく私の心を苛みました。

両足が動かなくなってもいいから手だけは動いてくれたらどんなにいいだろう・・・。

とまで思っていたのはピアノが弾けなくなってしまったからです。

3歳のころから友達だったピアノは楽しい時も辛い時も

私の心を支えてくれる大親友といえる存在でした。

お母さんに叱られながらピアノの蓋の上でおやつを食べ机代わりにして宿題もしました。

「音楽を職業にするのは難しい」という先生や親の反対で音楽大学には行けませんでしたが

 その後習っていた先生からご縁をいただきプロのジャズピアニスト田村克哉氏に師事しました。

当時田村先生が演奏していらっしゃったナイトクラブでの対バン演奏の仕事を得たことによって

※対バンとは先生が30分演奏して私が30分演奏するというスタイルです。

普通大学出身でもプロピアニストになれたんです。

そして田村先生が指導されていた音楽短大の卒業生さんにラウンジやブライダルピアノの演奏を

ご指導させていただくまでになっていたのでした。

ここまで生活の中に浸み込んで一体となっていたピアノという存在を

突然、神様に取り上げられてしまったような気持ちになったのです。

五島にピアノも生徒さんもすべて置いてきた私…

罪悪感と虚無感でどうゆって生きていけばいいのだろうと悩む日々が続きました。

実家にはピアノもないし頼みの綱は五島から

私の荷物だけを送ってもらっていた中にあったパソコンだけでした。

今の自分の状態でも何かできる仕事はないか・・・当時SOHOという言葉がはやり始めていたころでした。Small Office Home Officeの頭文字を取った造語で在宅で仕事をするという概念が広がりつつあった時代でした。Soho’snetworkだったかな・・・現在のクラウドワークスのような在宅で仕事したい人と仕事を任せたい会社との縁を繋ぐサイトも増え始めていたころでした。

しかしそういう所に掲載されているのは特別な資格や技術を持った人に可能な仕事がほとんどで、私にできることはなさそうに見えました。

そんな時一つの求人がありました。カーナビに掲載するガソリンスタンドデータの

営業時間などの内容を電話で聞き取りして指定のフォーマットに

入力して納品するというものでした。

これならできるかも…と応募し実査際に業務に携わることができました。

これで小さな実績を積んで自信に変えた私は、日々新しい仕事がないか探すようになりました。

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