Iターンからの突然の病
1999年、 ノストラダムスの大予言は幸いにも当たりませんでしたが私にとっての世界は激変しました。
そのころ私は自然に囲まれた生活がしたくて都会でのナイトクラブのピアニストという職を捨てて
長崎の五島列島に移住したんです。小さなキッチンガーデンで野菜を作りながら自然養鶏で鶏を飼い島のピアノの先生や子供たちにポピュラーピアノやジャズを指導したりして充実した生活を送っていました。


都会の喧騒から離れ、自然豊かな緑の大地で半農半音楽の健康的な生活をしていたはずなのに
38歳にして脳内出血という大病を患ったのです。
その日は普通どおりにレッスンを終えて帰宅して就寝しました。
いつも通りの日常のはずでしたが、深夜に不可解な悪夢を見てうなされながら目が覚めたとき愕然としました。
左の手足に力が全く入らないのです。当時の夫に異変を告げに階下に降りました。
今思えばその時はまだ歩けていたのですね。
救急車を呼んでもらうように告げたとたん強烈な寒気に襲われてがくがくと震えが来て、
左側から崩れ落ちるようにその場に倒れこみました。
毛布をかけてもらってもまだ寒いので5月というのに季節はずれの暖房を入れてもらいました。
救急車が来るまでの約15分の間、私は幽体離脱をしてガレージのところに立って
外から玄関を眺めていました。
救急車が到着した時は意識レベルははっきりとしていて
救急隊員さんと受け答えしていたことも記憶しています。
総合病院に運ばれてCT検査の結果、右の脳内にうずらの卵と
チャボの卵の中間くらいの大きさの出血がある事を
ドクターが説明していたこともはっきり記憶していました
ヘリでの搬送~緊急手術へ
側に居たナースが「先生、助けてあげてくださいっ」と
大きな声で叫んでくれたのも覚えています。
その病院には、脳外科がなかったためその夜は点滴などの
内科的処置をしながらしばらく経過を見ることになりました。
その後状態が悪くなるまではみんながこのまま安定してくれるものと思っていたそうです。
~ここからのことは私は意識を失って覚えていません。
後で家族から聞いたことには、血腫が脳幹という生命維持に大切なところを圧迫して
呼吸に異常が出始めたので緊急救命という措置で自衛隊のヘリに乗せられて
大村市の国立病院(当時)に搬送され緊急手術を受けました。
この病院にはその当時九州でも3本の指に入るといわれる脳外科の名医がおられたそうなのです。
離島にいたからこそヘリ搬送されそんなスーパードクターに
執刀していただけたんだね、ラッキーでしたねと後日いろんな人に言われました。

このゴッドハンドの先生の手術のおかげで一命を取り留めた私は一旦五島に戻りましたが
本格的なリハビリ治療のために実家のある北九州市に戻ることを
余儀なくされ後ろ髪をひかれながらも五島を去ったのでした。
臨死体験から九死に一生を得てこの世に戻ってこれたのは
おおいに感謝すべきですがその代償として左半身の運動機能を失いました。
利き手は右手でしたから日常動作は何とか片手でできるようにはなったものの
それまで10年以上頑張ってきたピアニストの仕事も当時の夫も
すべて失いそれまで思ってもみなかった不自由な生活をスタートすることになったのです。


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